う~~~~ん
ひょんなことから母校のホームページに辿り着いた。
一日が終わるたびカレンダーの日付に×印を付けながら通った高校。
PC画面上ではスライドショーのように様々な写真が入れ替わっている。
丘の上の豊かな緑にいだかれた校舎を眺めると、一瞬でその頃の空気が蘇る。
反射的に苦く切ない思いが胸にこみ上げ、声にならないうめき声を上げた。
きっとこれからずっとトラウマとして“学校”は僕に付きまとうのかなぁとか思いながら、
見ていくと生徒たちが授業を受けている写真になった。
しばらく眺めて、この子達の中にもセクマイの子はいるだろうし、
きっと僕みたいに毎日カレンダーに×印をつけながら通っている子もいるかもしれないなと思った。
もちろんセクマイに限らず、居場所が無くてとにかくここで無いどこかに逃げたしたい子達も。
う~ん。
僕が僕以外のセクシャルマイノリティの方に始めて出逢ったのは32歳のとき。
紡ぐのメンバーが最初だ。
それは遅いのか早いのか。多分遅いほうだろう。
僕の生まれ育った札幌市は北海道の中で一番大きな都市だが、
僕が住んでいた1983年から2008年までの間に紡ぐみたいな団体は無かったと思う。
もしも、毎日を塗りつぶすように生きていたあの頃に、
紡ぐのような団体と出会っていたら何か変わっていただろうか。
多分変わっていたと思う。
僕はどうしても、どう頑張っても中学生から高校生の時期を楽しむことが出来なかった。
感情を殺して、息を潜めてただ日々が過ぎるのを待っていた。
多分それは“自分が人と違った罪深い存在”だと思い込んでいたからに違いなく、
それは小さく閉鎖的な世界に生きていた僕に重い十字架となってのしかかっていた気がする。
そしてそれはきっとセクマイの子が共通で感じてることなんじゃないかと確信めいて思うのだ。
その思い込みは例えば人との出会いなんかで覆ったりしないかな。
その小さく閉塞的な世界に小さな風穴を通すことが出来ないか。
う~~ん。
相変わらず僕は写真を眺める。
この子達に何か出来ないものか。
特に遠くの小さな町で孤独を感じている子がたくさんいるだろうな。
釧路とか根室とか北見とか網走とか・・・ほかにもたくさん。
う~~~ん。
一日が終わるたびカレンダーの日付に×印を付けながら通った高校。
PC画面上ではスライドショーのように様々な写真が入れ替わっている。
丘の上の豊かな緑にいだかれた校舎を眺めると、一瞬でその頃の空気が蘇る。
反射的に苦く切ない思いが胸にこみ上げ、声にならないうめき声を上げた。
きっとこれからずっとトラウマとして“学校”は僕に付きまとうのかなぁとか思いながら、
見ていくと生徒たちが授業を受けている写真になった。
しばらく眺めて、この子達の中にもセクマイの子はいるだろうし、
きっと僕みたいに毎日カレンダーに×印をつけながら通っている子もいるかもしれないなと思った。
もちろんセクマイに限らず、居場所が無くてとにかくここで無いどこかに逃げたしたい子達も。
う~ん。
僕が僕以外のセクシャルマイノリティの方に始めて出逢ったのは32歳のとき。
紡ぐのメンバーが最初だ。
それは遅いのか早いのか。多分遅いほうだろう。
僕の生まれ育った札幌市は北海道の中で一番大きな都市だが、
僕が住んでいた1983年から2008年までの間に紡ぐみたいな団体は無かったと思う。
もしも、毎日を塗りつぶすように生きていたあの頃に、
紡ぐのような団体と出会っていたら何か変わっていただろうか。
多分変わっていたと思う。
僕はどうしても、どう頑張っても中学生から高校生の時期を楽しむことが出来なかった。
感情を殺して、息を潜めてただ日々が過ぎるのを待っていた。
多分それは“自分が人と違った罪深い存在”だと思い込んでいたからに違いなく、
それは小さく閉鎖的な世界に生きていた僕に重い十字架となってのしかかっていた気がする。
そしてそれはきっとセクマイの子が共通で感じてることなんじゃないかと確信めいて思うのだ。
その思い込みは例えば人との出会いなんかで覆ったりしないかな。
その小さく閉塞的な世界に小さな風穴を通すことが出来ないか。
う~~ん。
相変わらず僕は写真を眺める。
この子達に何か出来ないものか。
特に遠くの小さな町で孤独を感じている子がたくさんいるだろうな。
釧路とか根室とか北見とか網走とか・・・ほかにもたくさん。
う~~~ん。
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