ゆく年くる年
久しぶりの東京での年越し。
もくもくと家を掃除して、もくもくと年賀状を書いて。
静かな部屋で一人で作業に没頭しながら、考えをめぐらせるのも良いものです。
2015年。ありがとうございました。
今年はなんと言っても「紡ぐ」にスタッフとして参加した年でした。
仕事との両立とか無理かも・・・などと思っていましたが
紡ぐの活動が楽しく、そんなことはなんとでもなりました。
僕の中でいろんなことが「始まった」年でした。
2016年。どういう年にするかはまだ考えてません。
そのうちひらめくと思います。
無理しない程度で、2016年のテーマをのんびり見つけていきます。
本当に今年一年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
あんどう
もくもくと家を掃除して、もくもくと年賀状を書いて。
静かな部屋で一人で作業に没頭しながら、考えをめぐらせるのも良いものです。
2015年。ありがとうございました。
今年はなんと言っても「紡ぐ」にスタッフとして参加した年でした。
仕事との両立とか無理かも・・・などと思っていましたが
紡ぐの活動が楽しく、そんなことはなんとでもなりました。
僕の中でいろんなことが「始まった」年でした。
2016年。どういう年にするかはまだ考えてません。
そのうちひらめくと思います。
無理しない程度で、2016年のテーマをのんびり見つけていきます。
本当に今年一年ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
あんどう
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母の小包
年の瀬迫る午後、小包が届いた。差出人は母。
今年の年末は実家に帰れないから、心配したのかもしれない。
おせちなんてまだ送れないだろうし、一体何だろうと包みを開けると…。
ハムの詰め合わせ
と
札幌ラーメン10食セット。
確かに東京のラーメンはまずいと愚痴はこぼしたけどさぁ。
僕は一人で暮らしているのですよ、母さん…。
母は、僕がFTMであるということを知っています。
僕が二十歳の時にカミングアウトしました。
僕はなんとなく母は僕のことを気づいているのだと思っていました。
子供の頃からとにかくボーイシュだったし
好むものも、所謂一般の女の子とは違ったし
母は少し心の準備が出来てるんじゃないかって思っていました。
でも性同一性障害という言葉を伝えた時、母は泣いてしまったのです。
僕は子供の頃から母親が大好きで、
多感な時期には衝突したことも少しはありましたが、
基本的に何でも話せて、尚且つ母の考え方には多大な影響を受けました。
子供の頃、神経質でウジウジとした精神を持っていた僕にはいつも
「やることやったんならなるようにしかなんないよ」と言っていて、
この「なるようにしかなんない」っていう言葉が結構僕の心を救ってくれました。
母はウジウジしてる僕を見ていつもけらけら笑っていました。「また思いつめてるの?」って。
基本的に母は明るく、楽観的なのです。
だけどそんな母も、僕の告白を聞いて泣いてしまったのです。
母は一週間ほど無口になって、元気が無くて。
それから徐々に元の調子を取り戻していきました。
もちろん全てに折り合いをつけたわけでは無いだろうけど、
少し落ち着いた後僕に
「母さんは兄弟仲良くしてくれて、二人が元気だったら何にも要らない。
あなたの遺伝子が途切れてしまうのは残念だけど、まぁそれはそれ。
ただ、あなたにもいいパートナーが見つかるといいね。」とだけいいました。
言葉はカラッと乾いているけど、色んな葛藤を経ての重い言葉なんだと思いました。
そしてその根底には「人生なるようにしかならない」っていう
ある意味楽観的で、ドライな人生観が横たわっているような気がしました。
がんばってもだめなものはだめ。
世の中にはそんなこともあるんだから。
自分の大切にしてるものを見失わず、信念に従って生きていけばいいさっていうような。
さて、そんな思い出に浸りながらも僕は恐る恐る、
先のラーメン10食セットの賞味期限を確認しました。
1月11日と印字されています。
思わず「母さん…」とその場でつぶやきました。
これから毎日ラーメン食わなきゃなんないよ。
そしてどうするよ、このハム。お歳暮かよ…。
まぁ、僕のDNAの半分は彼女のものだし、
きっと似た所もあるのかもしれないし
何より気持ちが嬉しいし、
多分贈り物への気持ちが溢れてしまったんだね…
とそんな感じで理解しました。
誰かラーメン食べたい方お分けします。
本当に!おすそ分けします!あとハムも!
今年の年末は実家に帰れないから、心配したのかもしれない。
おせちなんてまだ送れないだろうし、一体何だろうと包みを開けると…。
ハムの詰め合わせ
と
札幌ラーメン10食セット。
確かに東京のラーメンはまずいと愚痴はこぼしたけどさぁ。
僕は一人で暮らしているのですよ、母さん…。
母は、僕がFTMであるということを知っています。
僕が二十歳の時にカミングアウトしました。
僕はなんとなく母は僕のことを気づいているのだと思っていました。
子供の頃からとにかくボーイシュだったし
好むものも、所謂一般の女の子とは違ったし
母は少し心の準備が出来てるんじゃないかって思っていました。
でも性同一性障害という言葉を伝えた時、母は泣いてしまったのです。
僕は子供の頃から母親が大好きで、
多感な時期には衝突したことも少しはありましたが、
基本的に何でも話せて、尚且つ母の考え方には多大な影響を受けました。
子供の頃、神経質でウジウジとした精神を持っていた僕にはいつも
「やることやったんならなるようにしかなんないよ」と言っていて、
この「なるようにしかなんない」っていう言葉が結構僕の心を救ってくれました。
母はウジウジしてる僕を見ていつもけらけら笑っていました。「また思いつめてるの?」って。
基本的に母は明るく、楽観的なのです。
だけどそんな母も、僕の告白を聞いて泣いてしまったのです。
母は一週間ほど無口になって、元気が無くて。
それから徐々に元の調子を取り戻していきました。
もちろん全てに折り合いをつけたわけでは無いだろうけど、
少し落ち着いた後僕に
「母さんは兄弟仲良くしてくれて、二人が元気だったら何にも要らない。
あなたの遺伝子が途切れてしまうのは残念だけど、まぁそれはそれ。
ただ、あなたにもいいパートナーが見つかるといいね。」とだけいいました。
言葉はカラッと乾いているけど、色んな葛藤を経ての重い言葉なんだと思いました。
そしてその根底には「人生なるようにしかならない」っていう
ある意味楽観的で、ドライな人生観が横たわっているような気がしました。
がんばってもだめなものはだめ。
世の中にはそんなこともあるんだから。
自分の大切にしてるものを見失わず、信念に従って生きていけばいいさっていうような。
さて、そんな思い出に浸りながらも僕は恐る恐る、
先のラーメン10食セットの賞味期限を確認しました。
1月11日と印字されています。
思わず「母さん…」とその場でつぶやきました。
これから毎日ラーメン食わなきゃなんないよ。
そしてどうするよ、このハム。お歳暮かよ…。
まぁ、僕のDNAの半分は彼女のものだし、
きっと似た所もあるのかもしれないし
何より気持ちが嬉しいし、
多分贈り物への気持ちが溢れてしまったんだね…
とそんな感じで理解しました。
誰かラーメン食べたい方お分けします。
本当に!おすそ分けします!あとハムも!