今僕はどんな顔して笑ってるか
顔のつくりは、整形しない限りそんなに大きくは変わらないけど顔つきはものすごく変化する。
訳あって、昔の写真を実家から取り寄せた。
赤ちゃんの頃から高校生までの僕の写真だ。
写真を眺めてそんなことを思った。
物心つく前までの写真は、どれも女の子然としている。
髪は肩まで伸びていて、ひらひらした襟の服を着せられたり、スカートを履いているものも有る。
自分の身に何が起きているのか全く理解していないので、この頃の僕はとても無邪気にニコニコ笑っている。
どれもこれも笑っている。

3歳を過ぎたあたりから物心がついたのだろう、髪は短くなって、
靴はとっておきのスニーカーにキャップをかぶっている。
この頃の顔つきは、なんだかとっても頼もしい顔つき。
自意識も出てきたのか、ポケットに手を入れたりして、ちょっと格好とかつけている…気がする。


しかし小学校入学の頃からなんとなーく顔つきが変化していく。
入学式の時は母にお願いされて着たスカートとブレザー姿。しかも白タイツのコンボ。
これは中々苦痛だったようで、顔が酷くゆがんでいる。
「早く家に帰ろうよ」って吹き出しが見えるくらいだ。

そこから先は僕の“混迷の時代”。ずっと迷ったような顔つきをしていて、
小学校高学年になるとそれは顕著になっていく。
笑ってる写真が少なくなるが高校生の時の写真が一番酷い。
最大の“辱め”制服姿で誰かの結婚式に出席している僕は笑顔を作ってるんだけど目が全然笑ってなくて、
諦めたみたいな目をしている。痛々しくてもう見ていられない…。
こうして自分の顔つきを順に眺めていると
生まれて6年程度で僕は一度アイデンティティを手放したんだと思う。
小学校に入学する前の自信に満ちた頼もしい顔つきも、
何にも知らなかったときの無邪気な笑顔もしばらく見られなくなった。
こういう変遷はFTMならではというかなんというか…。
(もちろん人によりますが)
そういう風に写真を眺めるととても興味深いものに感じられたのでした。
で、だ。今僕はどんな顔つきをしている?
高校を卒業して大学もふらふらしながら出てから、東京で働き蜂のように働いて
30代になって紡ぐに出会って、そこから色んな出会いがあって。
人はどんどん変わる。それは進化していたり退化していたり。元々あったものが消されてしまったり。
今回写真を眺めていて思った。
うんと子供の頃の写真の表情が本来僕が元々持っている顔なのかなと。
きっと元々僕はこんな風に笑う人間なんだろうなと。
今こういう笑顔取り戻せてたらいいなと。
あんどう
訳あって、昔の写真を実家から取り寄せた。
赤ちゃんの頃から高校生までの僕の写真だ。
写真を眺めてそんなことを思った。
物心つく前までの写真は、どれも女の子然としている。
髪は肩まで伸びていて、ひらひらした襟の服を着せられたり、スカートを履いているものも有る。
自分の身に何が起きているのか全く理解していないので、この頃の僕はとても無邪気にニコニコ笑っている。
どれもこれも笑っている。

3歳を過ぎたあたりから物心がついたのだろう、髪は短くなって、
靴はとっておきのスニーカーにキャップをかぶっている。
この頃の顔つきは、なんだかとっても頼もしい顔つき。
自意識も出てきたのか、ポケットに手を入れたりして、ちょっと格好とかつけている…気がする。


しかし小学校入学の頃からなんとなーく顔つきが変化していく。
入学式の時は母にお願いされて着たスカートとブレザー姿。しかも白タイツのコンボ。
これは中々苦痛だったようで、顔が酷くゆがんでいる。
「早く家に帰ろうよ」って吹き出しが見えるくらいだ。

そこから先は僕の“混迷の時代”。ずっと迷ったような顔つきをしていて、
小学校高学年になるとそれは顕著になっていく。
笑ってる写真が少なくなるが高校生の時の写真が一番酷い。
最大の“辱め”制服姿で誰かの結婚式に出席している僕は笑顔を作ってるんだけど目が全然笑ってなくて、
諦めたみたいな目をしている。痛々しくてもう見ていられない…。
こうして自分の顔つきを順に眺めていると
生まれて6年程度で僕は一度アイデンティティを手放したんだと思う。
小学校に入学する前の自信に満ちた頼もしい顔つきも、
何にも知らなかったときの無邪気な笑顔もしばらく見られなくなった。
こういう変遷はFTMならではというかなんというか…。
(もちろん人によりますが)
そういう風に写真を眺めるととても興味深いものに感じられたのでした。
で、だ。今僕はどんな顔つきをしている?
高校を卒業して大学もふらふらしながら出てから、東京で働き蜂のように働いて
30代になって紡ぐに出会って、そこから色んな出会いがあって。
人はどんどん変わる。それは進化していたり退化していたり。元々あったものが消されてしまったり。
今回写真を眺めていて思った。
うんと子供の頃の写真の表情が本来僕が元々持っている顔なのかなと。
きっと元々僕はこんな風に笑う人間なんだろうなと。
今こういう笑顔取り戻せてたらいいなと。
あんどう
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広島にて
小学校二年生の夏に広島へ旅行に行ったことがある。
その旅は自分の人生の中で一番強烈な印象を残した旅であった。
あんな旅は後にも先にも無いだろう。
兄と母と三人で原爆の傷跡を見て回ったのだ。
慣れない本州特有の蒸し暑さと、リアルな戦争の傷跡が持つインパクトは
7歳の小さな身体には到底受け止めきれるものではなく、
それは旅行中ずっと食べ物を口にすることが出来なくなってしまう程だった。
そしてその旅行で戦争の傷跡以外にも、もうひとつ忘れられない出来事があった。
その時僕は原爆記念館で本を選んでいた。原爆に関する児童書だ。
ワゴンセールに使われるようなラックに本が並べられており、僕は本をじっと見ていた。
するとその視界に手がすっと入ってきたのだ。
真っ黒な手。
甲の側は焦げたように黒い。掌の方はそれと比べると断然白く
その境目は線で引いたように黒と白で分けられていた。
僕はそれを見て“ギョッ”としたのだ。
そのまま視線を上げると、黒人の男性が立っていた。
僕はまたそれを見て“ギョッ”としたのだ。
人生で初めて黒人を見た瞬間だった。
旅での出来事に対して気持ちの整理がつかないまま、北海道に帰り
その旅はしばらくトラウマみたいな思い出になってしまった
(買った本を読むことが出来たのも、何年も後のことになる。それまで触ることも出来なかった)
その中でも黒人に対して“ギョッ”としてしまったことが本当にショックだった。
同じ人間に対してなんでそんな風に思ってしまったんだろうと。
僕は人として最低な人間なんじゃないかとか。すごく自分を責めていたのだった。
そして時は流れ。
僕は大学生になっていた。
FTMとして生きていこうと決意を固め、親しい仲間を中心にカムアウトをしていった時期だ。
周りの反応は総じて「驚いたけど、あんどうはあんどうだから」というものが多かった気がする。
そんな時、僕はふとあの広島旅行を思い出した。
あの“ギョッ”はそんなに自分を責めるほどのものじゃなかったんじゃないかと、ふと思ったのだ。
それは僕が「身体の性別と心の性別が食い違っている人間です」と告白することで
一度はギョッとされてるはずだと沢山カムアウトしていく中で思ったからだ。
そしてそれは、差別とか、見下してるとかそういうことではなく
ただ単純に初めて対峙するものに対する驚きなんだと。
現にあの時、あの真っ黒な手をした黒人を見つめて僕は逃げ出しただろうか。
嫌な気持になっただろうか、僕はただポーっと彼を眺めていた。
「黒人って本当に黒い肌をしているんだ」って思ったことをはっきり覚えている。
そこで点が線になったのだった。
セクシャルマイノリティだと告白することは一度相手をギョッと驚かせているかもしない。
でもその驚きは差別とか軽蔑とはまた違うものなんだろう。
そうした驚きを“引かれた”と感じ、差別されたなどと自意識過剰になるのはもったいない。
新しい出会いや、未来の理解の芽を摘むことにもなる気がするのだ。
誰でも初めてのことは驚くものである。
そして僕は卑屈にならず、被害者面などつまらないことはせず
沢山の人と出会って生きたいなぁと改めて思うのであった…。
あんどう
その旅は自分の人生の中で一番強烈な印象を残した旅であった。
あんな旅は後にも先にも無いだろう。
兄と母と三人で原爆の傷跡を見て回ったのだ。
慣れない本州特有の蒸し暑さと、リアルな戦争の傷跡が持つインパクトは
7歳の小さな身体には到底受け止めきれるものではなく、
それは旅行中ずっと食べ物を口にすることが出来なくなってしまう程だった。
そしてその旅行で戦争の傷跡以外にも、もうひとつ忘れられない出来事があった。
その時僕は原爆記念館で本を選んでいた。原爆に関する児童書だ。
ワゴンセールに使われるようなラックに本が並べられており、僕は本をじっと見ていた。
するとその視界に手がすっと入ってきたのだ。
真っ黒な手。
甲の側は焦げたように黒い。掌の方はそれと比べると断然白く
その境目は線で引いたように黒と白で分けられていた。
僕はそれを見て“ギョッ”としたのだ。
そのまま視線を上げると、黒人の男性が立っていた。
僕はまたそれを見て“ギョッ”としたのだ。
人生で初めて黒人を見た瞬間だった。
旅での出来事に対して気持ちの整理がつかないまま、北海道に帰り
その旅はしばらくトラウマみたいな思い出になってしまった
(買った本を読むことが出来たのも、何年も後のことになる。それまで触ることも出来なかった)
その中でも黒人に対して“ギョッ”としてしまったことが本当にショックだった。
同じ人間に対してなんでそんな風に思ってしまったんだろうと。
僕は人として最低な人間なんじゃないかとか。すごく自分を責めていたのだった。
そして時は流れ。
僕は大学生になっていた。
FTMとして生きていこうと決意を固め、親しい仲間を中心にカムアウトをしていった時期だ。
周りの反応は総じて「驚いたけど、あんどうはあんどうだから」というものが多かった気がする。
そんな時、僕はふとあの広島旅行を思い出した。
あの“ギョッ”はそんなに自分を責めるほどのものじゃなかったんじゃないかと、ふと思ったのだ。
それは僕が「身体の性別と心の性別が食い違っている人間です」と告白することで
一度はギョッとされてるはずだと沢山カムアウトしていく中で思ったからだ。
そしてそれは、差別とか、見下してるとかそういうことではなく
ただ単純に初めて対峙するものに対する驚きなんだと。
現にあの時、あの真っ黒な手をした黒人を見つめて僕は逃げ出しただろうか。
嫌な気持になっただろうか、僕はただポーっと彼を眺めていた。
「黒人って本当に黒い肌をしているんだ」って思ったことをはっきり覚えている。
そこで点が線になったのだった。
セクシャルマイノリティだと告白することは一度相手をギョッと驚かせているかもしない。
でもその驚きは差別とか軽蔑とはまた違うものなんだろう。
そうした驚きを“引かれた”と感じ、差別されたなどと自意識過剰になるのはもったいない。
新しい出会いや、未来の理解の芽を摘むことにもなる気がするのだ。
誰でも初めてのことは驚くものである。
そして僕は卑屈にならず、被害者面などつまらないことはせず
沢山の人と出会って生きたいなぁと改めて思うのであった…。
あんどう
新橋にて
8月末日。僕は職場の送別会に参加していた。
新橋の居酒屋にはざっと20名を越すスタッフが集まっていた。
以前ツイッターやラジオでは言っていたのだが、僕はこの4月に環境を変えて仕事をしている。
そして新たな部署で僕はセクマイとして自己紹介し、公式に(?)カムアウトして働いているのだ。
もちろん色んな思いがあってのカムアウトだが、今回はその想いについての話は割愛する。
働き始めてから、軽くその話題に触れる人は何人かいたものの
がっつりと突っ込んでくる人はおらず、正直少し拍子抜けしていた。
社内では中々プライベートな話は出来ないかもしれないが、
お酒の席などでは多少突っ込まれるかなぁなどど思っていた。
しかしこの5ヶ月間で一度もそういった質問は無かったのだ。
まぁ、相当個人的な話なので話題に上らないのは当たり前といえば当たり前だ。
少し「自意識が過剰だったかなぁ」などと思っていた。
新橋の夜は更けていき、お開きの時間が迫る頃僕は席を移動することにした。
なるべくたくさんのスタッフと会話した方が良いだろう。
移動した席には静かにタバコの煙をくぐらすS君がいた。
S君は、僕が新たに加入した部署で先に働いていた非常に優秀な24歳の先輩だ。
責任感があって、面倒見が良く、とにかく良く働く働き者。
僕は彼に一目置いていたし、彼の仕事ぶりをよく盗んでもいた。
そして何より誠実な良いヤツなのだ。
S君はかなり飲んでいたにもかかわらず少しも酔えない様子で
「あんどうさんじゃないですか!」と人懐っこい笑顔で話しかけてくれた。
いつも彼は社内で僕を見つけてはそう声を掛けるのだ。
そしてS君はそのテンションそのままで
「あんどうさんって元女性だったんですね!」と言った。
「いや、元っつーか手術とかはして無いんだけどね、でもそうだよ。間違ってない」
「まじかぁ~僕そういう方とはじめて会いましたよ~」
「あっそうなんだ」
「僕、テレビとかでしか見たことなくって…本当にそういう人いるんだって…」
「うんうん、そーなんだよ。生きてんだぜこういう人もさ」
「なんか初めの頃僕知らなくて身体とかさわってすみませんでした」
「いや別に全然いいんだよ。そういう絡みとか逆にうれしいもんなんだよ」
「そうなんすか?へ~」
「やっぱり珍しいもんなんだね。でも結構いるんだよ、実際は」
「そうなんすか?!」
どうやら彼は僕の自己紹介をあまりよく聞いていなかったようで
長らく僕を男性と認識していたらしいのだが、最近周りのスタッフから聞いて知ったという。
彼は僕が男性にしか見えなかったらしく、俄かには信じられなかったとしきりに言っていた。
いつも仕事の話をしてる時と変わらないトーンで
セクマイの人と出逢ったことと、それが僕であったことの驚きを率直に語るS君。
素直で、まっすぐな彼らしい語り口で僕はなんだか嬉しくなった。
彼の語り口はまるでそう
「あんどうさんって北海道出身だったんですね!僕行ったこと無いんですよ」
って話すのとまるで変わらない語り口だったのだ。
僕は、改めて自己紹介するように自分がFTMであると話し、彼は真剣に耳を傾けてくれた。
その会話は全員での記念写真撮影の号令と共に打ち切られ、長い宴はお開きとなったのだった。
S君は最後、思い出したように
「あ、知ったからっていって別に何にも変わんないっすよ、俺」と言った。
僕は「んなもんわかってるよ」と答えて
こんな風に世間話をするみたいに
自分のセクシャリティについて話せるような世の中になったらいいなと思った。
そして僕らは二件目を探しに店を出た。
都会のざわついた雑踏音すら耳に心地よく感じるほど、非常に気分の良い夜だった。
あんどう
新橋の居酒屋にはざっと20名を越すスタッフが集まっていた。
以前ツイッターやラジオでは言っていたのだが、僕はこの4月に環境を変えて仕事をしている。
そして新たな部署で僕はセクマイとして自己紹介し、公式に(?)カムアウトして働いているのだ。
もちろん色んな思いがあってのカムアウトだが、今回はその想いについての話は割愛する。
働き始めてから、軽くその話題に触れる人は何人かいたものの
がっつりと突っ込んでくる人はおらず、正直少し拍子抜けしていた。
社内では中々プライベートな話は出来ないかもしれないが、
お酒の席などでは多少突っ込まれるかなぁなどど思っていた。
しかしこの5ヶ月間で一度もそういった質問は無かったのだ。
まぁ、相当個人的な話なので話題に上らないのは当たり前といえば当たり前だ。
少し「自意識が過剰だったかなぁ」などと思っていた。
新橋の夜は更けていき、お開きの時間が迫る頃僕は席を移動することにした。
なるべくたくさんのスタッフと会話した方が良いだろう。
移動した席には静かにタバコの煙をくぐらすS君がいた。
S君は、僕が新たに加入した部署で先に働いていた非常に優秀な24歳の先輩だ。
責任感があって、面倒見が良く、とにかく良く働く働き者。
僕は彼に一目置いていたし、彼の仕事ぶりをよく盗んでもいた。
そして何より誠実な良いヤツなのだ。
S君はかなり飲んでいたにもかかわらず少しも酔えない様子で
「あんどうさんじゃないですか!」と人懐っこい笑顔で話しかけてくれた。
いつも彼は社内で僕を見つけてはそう声を掛けるのだ。
そしてS君はそのテンションそのままで
「あんどうさんって元女性だったんですね!」と言った。
「いや、元っつーか手術とかはして無いんだけどね、でもそうだよ。間違ってない」
「まじかぁ~僕そういう方とはじめて会いましたよ~」
「あっそうなんだ」
「僕、テレビとかでしか見たことなくって…本当にそういう人いるんだって…」
「うんうん、そーなんだよ。生きてんだぜこういう人もさ」
「なんか初めの頃僕知らなくて身体とかさわってすみませんでした」
「いや別に全然いいんだよ。そういう絡みとか逆にうれしいもんなんだよ」
「そうなんすか?へ~」
「やっぱり珍しいもんなんだね。でも結構いるんだよ、実際は」
「そうなんすか?!」
どうやら彼は僕の自己紹介をあまりよく聞いていなかったようで
長らく僕を男性と認識していたらしいのだが、最近周りのスタッフから聞いて知ったという。
彼は僕が男性にしか見えなかったらしく、俄かには信じられなかったとしきりに言っていた。
いつも仕事の話をしてる時と変わらないトーンで
セクマイの人と出逢ったことと、それが僕であったことの驚きを率直に語るS君。
素直で、まっすぐな彼らしい語り口で僕はなんだか嬉しくなった。
彼の語り口はまるでそう
「あんどうさんって北海道出身だったんですね!僕行ったこと無いんですよ」
って話すのとまるで変わらない語り口だったのだ。
僕は、改めて自己紹介するように自分がFTMであると話し、彼は真剣に耳を傾けてくれた。
その会話は全員での記念写真撮影の号令と共に打ち切られ、長い宴はお開きとなったのだった。
S君は最後、思い出したように
「あ、知ったからっていって別に何にも変わんないっすよ、俺」と言った。
僕は「んなもんわかってるよ」と答えて
こんな風に世間話をするみたいに
自分のセクシャリティについて話せるような世の中になったらいいなと思った。
そして僕らは二件目を探しに店を出た。
都会のざわついた雑踏音すら耳に心地よく感じるほど、非常に気分の良い夜だった。
あんどう
叶わない恋とは
最近、“叶わない恋”をしているという女の子と出逢った。
彼女の好きな人には彼女がいるらしい。
目を伏せて悲しそうに「私の恋は叶わないから…」とつぶやくのだ。
昔の僕は、恋することが嫌いだった。
人を好きになると、それだけで憂鬱な気分になった。
振り向いて貰えるなんてことはありえないし
もしも万が一僕の好きという気持ちが知られてしまったら…と考えるだけで
憂鬱を通り越し恐怖心すら抱いていた。
その一方で、好きな人はキラキラと輝いて見えるし当然魅力的で
もうそれが嫌で嫌で、僕の恋はいつだって“叶わない恋”なのだなどと思っていた。
それから少しばかり僕も大人になり
僕みたいな男の肉体を持たない男でも、好きな人と付き合うことが出来ることを知ったし
僕が恋するみたいに相手も僕に恋をするってことを知った。
気持ちが通じ合うってことに感動をして、それはクセになりそうなほど嬉しいことだと知った。
僕にとって恋は叶わないものではなくなったのだ。
人を好きになることも恐ろしいことではなくなった。あれは一体何だったんだと思うくらい。
“叶わない恋”っていうのは、多分
“叶えようとしなかった恋”なんじゃないかと僕は思う。
僕もあんまり恋愛に関して語れるほどの経験もないのだけど
相手がいようが、性別の壁があろうが好きだと思ったら、トライすべきだと思うのだ。
そりゃ素敵な人はモテるだろうし、都合よくいいタイミングで出会えないかもしれない。
だけど自分だけのやり方で、アピールすべきだと思う。
やるだけやって駄目だったら、それはもう“叶わない恋”じゃなくて“叶わなかった恋”ってだけ。
だから“叶わない恋”っていうのは、踏み出せない弱さと一緒じゃないかと思う。
大昔、人を好きになることにぶるぶる震えていた僕みたいに。
もちろん叶った方がハッピーだけど
“叶わない恋”をせめて“叶わなかった恋”にしたいなぁなどと僕は思うのです。
まぁでも、逃げて逃げて、逃げ場所がなくなるくらいまで逃げて
そんな自分が情けなくてどうしょうも無くてっていう経験が次のバネになったりもするかもしれない。
怖いものは怖い。逃げたいものは逃げたい。
僕だってず~~~っと逃げ続けてたし。
そして、それを壊すのは自分以外あり得ないから
僕は、叶わない恋を嘆くその女の子の話を黙って聴いてあげることしか出来ないけど
いつか彼女の中で大きな気づきが生まれればいいなとか祈っている。
まぁ、大きなお世話だけど!笑
世の中の真理ってとってもシンプルで自由な気がする
誰も何も決めてないと思うんだよなぁ。
色んなものにブレーキを掛けているのは
よくよく見つめたら、弱さとか恐怖心とかそういうものなような気がするのです。
あんどう
彼女の好きな人には彼女がいるらしい。
目を伏せて悲しそうに「私の恋は叶わないから…」とつぶやくのだ。
昔の僕は、恋することが嫌いだった。
人を好きになると、それだけで憂鬱な気分になった。
振り向いて貰えるなんてことはありえないし
もしも万が一僕の好きという気持ちが知られてしまったら…と考えるだけで
憂鬱を通り越し恐怖心すら抱いていた。
その一方で、好きな人はキラキラと輝いて見えるし当然魅力的で
もうそれが嫌で嫌で、僕の恋はいつだって“叶わない恋”なのだなどと思っていた。
それから少しばかり僕も大人になり
僕みたいな男の肉体を持たない男でも、好きな人と付き合うことが出来ることを知ったし
僕が恋するみたいに相手も僕に恋をするってことを知った。
気持ちが通じ合うってことに感動をして、それはクセになりそうなほど嬉しいことだと知った。
僕にとって恋は叶わないものではなくなったのだ。
人を好きになることも恐ろしいことではなくなった。あれは一体何だったんだと思うくらい。
“叶わない恋”っていうのは、多分
“叶えようとしなかった恋”なんじゃないかと僕は思う。
僕もあんまり恋愛に関して語れるほどの経験もないのだけど
相手がいようが、性別の壁があろうが好きだと思ったら、トライすべきだと思うのだ。
そりゃ素敵な人はモテるだろうし、都合よくいいタイミングで出会えないかもしれない。
だけど自分だけのやり方で、アピールすべきだと思う。
やるだけやって駄目だったら、それはもう“叶わない恋”じゃなくて“叶わなかった恋”ってだけ。
だから“叶わない恋”っていうのは、踏み出せない弱さと一緒じゃないかと思う。
大昔、人を好きになることにぶるぶる震えていた僕みたいに。
もちろん叶った方がハッピーだけど
“叶わない恋”をせめて“叶わなかった恋”にしたいなぁなどと僕は思うのです。
まぁでも、逃げて逃げて、逃げ場所がなくなるくらいまで逃げて
そんな自分が情けなくてどうしょうも無くてっていう経験が次のバネになったりもするかもしれない。
怖いものは怖い。逃げたいものは逃げたい。
僕だってず~~~っと逃げ続けてたし。
そして、それを壊すのは自分以外あり得ないから
僕は、叶わない恋を嘆くその女の子の話を黙って聴いてあげることしか出来ないけど
いつか彼女の中で大きな気づきが生まれればいいなとか祈っている。
まぁ、大きなお世話だけど!笑
世の中の真理ってとってもシンプルで自由な気がする
誰も何も決めてないと思うんだよなぁ。
色んなものにブレーキを掛けているのは
よくよく見つめたら、弱さとか恐怖心とかそういうものなような気がするのです。
あんどう
う~~~~ん
ひょんなことから母校のホームページに辿り着いた。
一日が終わるたびカレンダーの日付に×印を付けながら通った高校。
PC画面上ではスライドショーのように様々な写真が入れ替わっている。
丘の上の豊かな緑にいだかれた校舎を眺めると、一瞬でその頃の空気が蘇る。
反射的に苦く切ない思いが胸にこみ上げ、声にならないうめき声を上げた。
きっとこれからずっとトラウマとして“学校”は僕に付きまとうのかなぁとか思いながら、
見ていくと生徒たちが授業を受けている写真になった。
しばらく眺めて、この子達の中にもセクマイの子はいるだろうし、
きっと僕みたいに毎日カレンダーに×印をつけながら通っている子もいるかもしれないなと思った。
もちろんセクマイに限らず、居場所が無くてとにかくここで無いどこかに逃げたしたい子達も。
う~ん。
僕が僕以外のセクシャルマイノリティの方に始めて出逢ったのは32歳のとき。
紡ぐのメンバーが最初だ。
それは遅いのか早いのか。多分遅いほうだろう。
僕の生まれ育った札幌市は北海道の中で一番大きな都市だが、
僕が住んでいた1983年から2008年までの間に紡ぐみたいな団体は無かったと思う。
もしも、毎日を塗りつぶすように生きていたあの頃に、
紡ぐのような団体と出会っていたら何か変わっていただろうか。
多分変わっていたと思う。
僕はどうしても、どう頑張っても中学生から高校生の時期を楽しむことが出来なかった。
感情を殺して、息を潜めてただ日々が過ぎるのを待っていた。
多分それは“自分が人と違った罪深い存在”だと思い込んでいたからに違いなく、
それは小さく閉鎖的な世界に生きていた僕に重い十字架となってのしかかっていた気がする。
そしてそれはきっとセクマイの子が共通で感じてることなんじゃないかと確信めいて思うのだ。
その思い込みは例えば人との出会いなんかで覆ったりしないかな。
その小さく閉塞的な世界に小さな風穴を通すことが出来ないか。
う~~ん。
相変わらず僕は写真を眺める。
この子達に何か出来ないものか。
特に遠くの小さな町で孤独を感じている子がたくさんいるだろうな。
釧路とか根室とか北見とか網走とか・・・ほかにもたくさん。
う~~~ん。
一日が終わるたびカレンダーの日付に×印を付けながら通った高校。
PC画面上ではスライドショーのように様々な写真が入れ替わっている。
丘の上の豊かな緑にいだかれた校舎を眺めると、一瞬でその頃の空気が蘇る。
反射的に苦く切ない思いが胸にこみ上げ、声にならないうめき声を上げた。
きっとこれからずっとトラウマとして“学校”は僕に付きまとうのかなぁとか思いながら、
見ていくと生徒たちが授業を受けている写真になった。
しばらく眺めて、この子達の中にもセクマイの子はいるだろうし、
きっと僕みたいに毎日カレンダーに×印をつけながら通っている子もいるかもしれないなと思った。
もちろんセクマイに限らず、居場所が無くてとにかくここで無いどこかに逃げたしたい子達も。
う~ん。
僕が僕以外のセクシャルマイノリティの方に始めて出逢ったのは32歳のとき。
紡ぐのメンバーが最初だ。
それは遅いのか早いのか。多分遅いほうだろう。
僕の生まれ育った札幌市は北海道の中で一番大きな都市だが、
僕が住んでいた1983年から2008年までの間に紡ぐみたいな団体は無かったと思う。
もしも、毎日を塗りつぶすように生きていたあの頃に、
紡ぐのような団体と出会っていたら何か変わっていただろうか。
多分変わっていたと思う。
僕はどうしても、どう頑張っても中学生から高校生の時期を楽しむことが出来なかった。
感情を殺して、息を潜めてただ日々が過ぎるのを待っていた。
多分それは“自分が人と違った罪深い存在”だと思い込んでいたからに違いなく、
それは小さく閉鎖的な世界に生きていた僕に重い十字架となってのしかかっていた気がする。
そしてそれはきっとセクマイの子が共通で感じてることなんじゃないかと確信めいて思うのだ。
その思い込みは例えば人との出会いなんかで覆ったりしないかな。
その小さく閉塞的な世界に小さな風穴を通すことが出来ないか。
う~~ん。
相変わらず僕は写真を眺める。
この子達に何か出来ないものか。
特に遠くの小さな町で孤独を感じている子がたくさんいるだろうな。
釧路とか根室とか北見とか網走とか・・・ほかにもたくさん。
う~~~ん。